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東日本大震災被災地演奏支援プロジェクト「おとつむぎネット」の取り組み1

東日本大震災被災地演奏支援プロジェクト「おとつむぎネット」
2012.2.2までの取り組みを紹介いたします。

東日本大震災北関東大震災被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。昨年度は、被災地演奏支援プロジェクトにご協力いただきありがとうございました。DSCN2505.JPG4月6日・7日石巻にて
私たちは被災地の演奏支援・福祉支援のプロジェクト「おとつむぎネット」を立ち上げ、被災地への支援活動に取り組みます。

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2012.2.2東日本大震災被災地演奏支援プロジェクト「おとつむぎネット」写真展開催中 場所: 名古屋市西区山田図書館 期間:2月16日(木)まで
場所:名古屋市北区楠図書館 期間:3月17日~4月19日

現在、名古屋市西区の山田図書館で、東日本大震災被災地演奏支援プロジェクト「おとつむぎネット」の写真展が開催されています。正面入り口に、16枚の写真パネルが設置してあり、7冊の冊子に掲載した二百数十枚の写真が閲覧できます。山田図書館は今回の「東日本大震災を忘れない」の企画展で「・・あれから、まもなく1年が経とうとしています。しかし、復興まではまだ、見えてきているとは言えない状況です。今回、被災地に入り、演奏活動を通じて被災された方を元気づける活動をされている西区在住の胡弓演奏家石田音人さんから被災地の様子を収めた写真をお借りして、その様子を展示いたしました。・・・」と紹介をいただいております。ぜひ、皆様お出で下さい。
図書館1.jpg図書館2.jpg図書館4.jpg

図書館3.jpg

「おとつむぎネットⅤ」

5回目の東日本大震災被災地支援プロジェクト「おとつむぎネット5Ⅴ」を下記のように実施いたします。
おとつむぎ5.BMP
実施場所 3月10日福島県田村市蓮笑庵 {福島の明日と未来を     作るつどい(仮題)}、支援物資搬入・交流宮城郡七ヶ浜、3月11日pm5:30~、pm6:30~石巻市河北道の駅「上品の郷(じょうほんのさと)」のレストラン「栞」にて胡弓追悼演奏、3月12日宮城県岩沼市(2回演奏)、

2011.11.18東海豪雨を語り継ぐ会として、愛知県災被災者支援センターへ、石油ファンヒーターの提供させていただきました。

suto-bu.jpg
現在愛知県内に約500世帯、1250名の方々が、東日本大震災の被災地から避難されておられます。愛知県被災者支援センター(担当者滝川連絡メール<staff05@aichi-shien.net>)では、冬の暖房機器のご協力を呼びかけています。

2011.11.23.名古屋栄ラボ教育センターで、東日本大震災被災地演奏支援「おとつむぎネット」の報告・演奏をいのこふくよ様と行いました。皆様から次回の支援演奏の募金10,150円のご協力をいただきました。ありがとうございました。ラボ講演.jpg

2011.11.11岐阜県可児市広見が丘公民館で、東日本大震災被災地支援「結コンサート」で、多くの皆様のご協力をいただきました。次回の被災地支援演奏ため、41,438円の寄付金をいただきました。心よりお礼申し上げます。

写真展示.jpgこれまでの、被災地支援演奏と被災地の写真を展示させていただきました。さあ始まりは「かたたたき」です.jpg結コンサート幕開けは「かたたたき」ゲームです。胡弓演奏と報告.jpg胡弓演奏と「おとつむぎネット」の報告をさせていただきました。スーホの白い馬.jpgいのこふくよ様の朗読と音楽による「スーホの白い馬」国枝様より被災地支援のお願い.jpg主催者の国枝様より、被災地支援演奏のご協力のお願いご協力ありがとうございました.jpgご協力ありがとうございました。

「おとつむぎネットⅣ」写真を追加掲載いたします。

同行していただいた稲沢市福祉施設「そぶえ自然村」の菊池嘉孝様撮影の写真を追加掲載させていただきます。菊池様、鈴木様をはじめ「そぶえ自然村」皆様ありがとうございました。蓮笑案5.jpg蓮笑庵2.jpg蓮笑庵1.jpg福島第一原発から40kmの田村市蓮笑庵に集まられた皆様に、加藤たかまささんが、届けた「私の子供たちへ(作詞・作曲笠木透)」の歌。胡弓で伴奏しながら一緒にうたいました。歌詞の3番は「生きている君たちが生きて走りまわる土を あなたに残しておいてやれるだろうか父さんは 目を閉じてごらんなさい山がみえるでしょう 近づいてごらんなさいこぶしの花があるでしょう。」自らの手で、除染作業を行い、力をあわせ、福島に、みらい・光を築くことために集う皆様。その願いと、歌の思いが重なります。アンコールで、もう一度この歌詞をかみ締め、皆様と歌いました。「生きている君たちが生きて走り回る土をあなたに」のこす、それが、私達の大切な役割です。七ヶ浜1.jpg七ヶ浜2.jpg七ヶ浜4.jpg七ヶ浜3.jpg新地1.jpg駒ヶ嶺小1.jpg駒ヶ嶺小2.jpgゆりあげ2.jpgゆりあげ漁港.jpg野蒜駅.jpg

~東日本大震災被災地演奏支援「おとつむぎネットⅣ(10.15~19)」を終えて~長町仮設2.jpg10.18仙台市太白区あすと長町仮設住宅

「心の支援をお願いしたい。」という被災地の要請のもと、10月15日~18日に、福島県・宮城県で、胡弓・歌・朗読の演奏支援・胡弓による追悼演奏を、7箇所で実施し、19日に名古屋へ帰ってきましたので、報告させていただきます。

駒ヶ嶺小.jpg10.17駒ヶ嶺小学校心の支援はこれから。「原小学校(避難区域南相馬市原小学校)にもぜひきてね(駒ヶ嶺小学校児童児童の手紙)」

今回は、地震と原発事故によって二重に被災した福島県の相馬郡新地町駒ヶ嶺小学校(17日)と福島第一原発から40kmの田村市の蓮笑庵(15日・故渡辺俊明画伯ギャラリー)の2箇所を含めて、宮城郡七ヶ浜福祉施設あさひ園(16日)・仙台市太白区大野田児童館(17日)・太白区ワークキャンパス内福祉施設円(まどか)(18日)・太白区あすと長町仮設住宅(18日)での支援公演と、名取市ゆりあげ地区日和山での胡弓追悼演奏・献花(17日)、東松島市野蒜小学校追悼・献花(16日)・石巻市門脇小学校追悼・献花(16日)という日程での公演・追悼演奏でした。

10月17日の駒ヶ嶺小学校公演を終えて、まもなく、教室からホールへ一人の女の子が手紙を持ってかけてきました。手紙には「原小学校へもぜひきてね。」と書いてありました。「ほんとうに楽しかったの。みんなに聞かせたい。いつか、原小学校に来てね。」と書いてありました。 原小学校は、南相馬市の避難区域で、全員各地へ避難しています。160名余りの児童の駒ヶ嶺小学校の26名は、避難区域の南相馬市の児童です。私たちの演奏をぜひ、離れ離れになっている原小学校の友達に聞かせたいという強い願いから、手紙を届けてくれたのです。いつか、この願いに応えられるときを祈っています。

新地駅3.jpg新地駅。線路・駅舎の撤去跡新地駅2.jpg新地駅に使われていた電線新地1.jpg新地駅から東を望むと、津波の塩害で耕作できない田園地帯が沼のようになっていました。新知町は、津波によって大きな被害を受け、田畑は塩害で耕作できず、沼のようになっています。新地駅や線路は、撤去され再開の計画も未定です。

これまでの「おとつむぎネット」の活動場所
おとつむぎ活動場所1.jpg

蓮笑庵1.jpg10.15福島県田村市蓮笑庵
「愛知・名古屋から七福神がきてくれたようです。どうぞこれからもよろしくお願いします。」(15日蓮笑庵渡辺仁子様談)
福島県田村市蓮笑庵は、故渡辺俊明画伯のアトリエ・交流・製作場所で、蓮笑庵建物・空間、部屋・庭・家具・器のすべてが、渡辺俊明画伯の作品となっています。
 震災以後、この場所が、福祉県の被災地支援の発信場所になっています。私たちの公演を行った日の1015日は、この地から、夢のある福島の未来を作ろうとメンバーが集い、「ひかり・みらい」プロジェクト結成の出発コンサートとなりました。蓮笑庵4.jpg蓮笑庵の渡辺仁子様が温かく見送って下さいました。
蓮笑庵の渡辺仁子さんは、「名古屋・愛知から、この地においでいただき、本当にうれしいです。まるで、七福神がきてくれた思いです。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。」といわれました。

蓮笑庵3.jpg蓮笑庵玄関福島原発から40kmしか離れておらず、飯館村など避難区域と隣接した町ですが、山々に囲まれ、風向きの関係で、放射能汚染が少ない地域です。この日のコンサートに参加された方々は、皆、避難住民を応援し続けてこられた方々でした。そして、光ある福島の未来を作るのはこれからだ、という思いで今日、集まっておられました。その最高のプレゼントとなるコンサートとなりました。翌日早朝から、渡辺仁子さんたちは放射能洗浄に出かけます。皆、輝く福島を取り戻し、夢と未来のある福島をつくろうと頑張っています。

あさひ園.jpg愛知・名古屋のボランテイアと七ヶ浜町の人々が力をあわせて復興の町作り。「おとつむぎネット」は歌と音楽・朗読で支援

10月17日は、福島県田村市を早朝に出発し、宮城郡七ヶ浜町福祉施設あさひ園の秋の復興祭りでの演奏です。午前10時前に到着したときは、町を挙げてのこの祭りの開会式の時間でした。10時45分から、いのこふくよさんの楽しい語りではじまります。「肩たたきゲーム」で、会場は笑いと和やかなムードに包まれます。隣で、レスキューストックヤードの足湯で、くつろいでいる方々も笑いの輪の中に入られます。「斎太郎節」が始まると、建物の外で、出店を手伝っている方々も歌いだします。親族をなくされたお爺さんも笑顔で歌い踊ります。希望と命の絆が広がります。午後は、野外お茶会の会場で、しっとりと胡弓演奏です。抹茶を飲みながら胡弓の音色に耳を傾け、秋晴れの復興祭りを、心より楽しんでいました。いまだ、瓦礫・自動車ののこる海岸まで、復興祭りを楽しむ声が届くようでした。七ヶ浜.jpg七ヶ浜沿岸地帯

松島1.jpg賑わいが戻ってきた松島16日2時過ぎ、七ヶ浜を離れ、津波の甚大な被害を受けた東松島・石巻に向かいます。途中、松島瑞巌寺は、観光客で賑わっていました。多くの島々に囲まれ、奇跡的に津波被害が少なかったようです。活気が戻ることが、復興の力です。

野蒜駅1.jpg東松島野蒜駅道路案内版野蒜駅.jpg野蒜駅観光客の渋滞を抜けて数キロ走ると、東松島に着きます。このあたりも、奥松島として島々の美しい景色で有名です。その奥松島北
部の海岸が野蒜地区です。この地区は大きな津波に襲われ、指定された海岸奥の野蒜諸学校まで3メートル50センチの津波が襲いました。
野蒜駅は、津波に襲われた時の様子を残していました。垂れ下がった電線、倒れた電柱、割れた駅舎の窓と曲がった柱。付近の家々も二階近くまで津波が達した痕跡が多く残っています。野蒜駅3.jpg野蒜駅トマト.jpg
駅舎二階の窓には「またあの美しい野蒜をとりもどそう!!」の張り紙が掲示してあります。野蒜駅敷地の津波の砂上にはトマトが実っており、小さな希望を私たちに伝えてくれているようでした。野蒜駅2.jpg

野蒜小時計.jpgひっそりと静まりかえったいた野蒜小学校。体育館の時計は、東日本大震災の時刻午後二時47分で止まっていました。野蒜駅避難マップ.jpg野蒜地区の住民は津波避難マップに従い、野蒜地区の海岸の奥にある野蒜諸学校体育間へ避難しました。野蒜小津波痕跡.jpg津波は体育館1階の梁下まで達していました。3メートル以上です。野蒜小1.jpg野蒜小学校体育館入り口野蒜小推.jpg体育館内の二階手すり下に、津波の痕跡が残っていました。3時50分頃、野蒜地区児童60名を含む300余名の避難する野蒜小学校へ、3メートル50センチ余りの津波が到達します。校長先生は津波の渦の中でもハンドマイクを握りしめ、児童・住民を体育館二階へ上るように誘導、津波は二階手すり下まで達しました。体育館で渦巻く津波の中の人々を、先生たちは卒業式の紅白幕の綱を投げ入れ、校長先生をはじめ何名も全力で助けます。野蒜小体育館.jpg津波が引いた吹雪の夜、児童が「ファイト!ファイト!」と合唱し、凍えた人々を励ましました。残念ながら20名の尊い命が、奪われました。でも、この子どもたちの「ファイト!」の声は、野蒜地区の人々の心の中に、大切な命の声となって響き復興の力になっていてます。野蒜小黙祷1.jpgおとつむぎネットⅣのメンバーは、ご冥福を祈り、献花・黙祷させていただきました。野蒜小献花.jpg

門脇小1.jpg16日午後3時30分頃、石巻市に向かいました。市街地の渋滞を抜け、日和山の方へ回ります。日和山の丘陵地帯の麓を走り、門脇地区へ向かいます。高台の横の道を曲がったとき、そこから、町のすべてが津波によって奪われた門脇地区・南浜地区が広がります。海岸には4階建てのビルほどの瓦礫が高く長く積まれていました。町の瓦礫は撤去され、門脇小学校校庭は、新しい土が運ばれ、きれいな運動場になっていました。門脇小の新芽.jpg門脇小新芽2.jpg門脇小教室1.jpg門脇小教室の自動車ナンバー.jpg門脇小2.jpg今回設営で協力いただいた、福祉施設「そぶえ自然村」の鈴木登志樹さん・菊池嘉孝さん・野村泰彦さん・水野敬子さん・竹田直樹さんとドレミファ先生こと加藤たかまささん・朗読家いのこふくよさんとともに黙祷・献花させていただきました。校庭の真っ黒に焼けた木のから伸びた新芽が、命の輝きを私たちに伝えてくれています。

荒浜スタンド2.jpg仙台市若林区荒浜地区荒浜スタンド.jpg荒浜タンク.jpg仙台市若林区の福祉施設「円」(太白区仙台ワークキャンパス内に間借り)での公演
仙台市若林区も津波で大きな被害を受けました。18日早朝6時に、宿泊していたシーラックパレ仙台から近郊の若林区荒浜地区へ、一人で行きました。まだ、被災の傷跡が広範囲に残っていました。
ガソリンスタンドは、鉄骨も折れ曲がり倒れていました。その西隣に「手仕事の里まどか庵 手漉き和紙・和菓子」の店がありました。そこも建物はゆがみ内部は全壊でした。あさひ園被災.jpg若林区荒浜のまどか庵
撮影時には、この「まどか庵」が、太白区のワークキャンパス内で間借りしている福祉施設「円(まどか)」の場所であったことは知りませんでした。演奏が終わってともに昼食をいただいていたときに写真を見せていただき、はじめて、朝訪れた場所が円であったと知り驚きました。円の職員のお一人が津波の犠牲になられたそうです。この写真の場所に、地震後、避難先を教える張り紙を張りにいって津波にのみこまれたそうです。このことを何も知らずに、演奏前の八時30頃、今回の演奏者とスタッフをつれて、この場所を訪れました。そして、午後9時30分に、移転先の太白区ワークキャンパスの円に到着しました。犠牲になられた職員が案内してくださったような、不思議なできごとです。

あさひ園2.jpg現在、福祉施設「円(まどか)」は太白区の仙台ワークキャンパス内で間借りしています。隣の福祉レストランで、手作りの餃子定職をごちそうになりました。とても美味でした。円の皆様ありがとうございました。三人の出演者の「かたたきゲーム」で始まり、いのこふくよさんの紙芝居「はじめまして」を朗読すると、通所されているみんなが魅了されます。加藤たかまささんが、水笛・ラッパ付きハーモニカ・歌で元気いっぱい盛り上げます。その後、しっとりと胡弓で「童神」を奏でると、「すばらしい!」の声が飛び交いました。写真のように馬頭琴を取り出すと、「スーホの白い馬だ!」と誰かが叫びました。そこで、馬頭琴のソロ演奏のあと急遽「スーホの白い馬」の朗読・演奏を始めました。皆、勇気と命の物語に魅了され、最後は「ビリーブ」の合唱と「トトロのさんぽ」の大行進です。あっという間の、感動的な一時間が過ぎました。

名取ゆりあげ日和山2.jpg名取市ゆりあげ日和山での胡弓追悼演奏・仙台市太白区大野田児童館での公演

17日午後、相馬郡の駒ヶ嶺小学校公園を終えて名取市ゆりあげ日和山に向かいました。7月の公演時、日和山への道は、通行禁止でした。通行許可願いを名取市建設課に届け出て、この地区へ入りました。今回も同様に、Faxで、通行許可願いを申し出たところ、もう、一般通行可能になっているとのことです。ゆりあげ漁港付近は、瓦礫もビルもすべて撤去され、港の南の瓦礫の山は、以前報道されたように、火災で燃えた跡が大きく残っていました。名取日和山1.jpg
今回、胡弓で追悼演奏を行いながら、日和山で献花・黙祷させていただきました。この地区で、自分の命を犠牲にして高齢者の避難誘導を行った人々や犠牲になった高校野球部のエースの若者がテレビで紹介されておりました。犠牲になられた尊い皆様の姿を思い浮かべながら胡弓演奏させていただきました。胡弓の演奏を涙ぐみながら聞いておられた方もおられました。多く
の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


大野だ.jpg仙台市太白区内のあちこちが開発中です。大野田児童館も、今年できたばかりの建物でした。低学年の小学生・幼児とお母さんが聞きにこられました。避難区域の南相馬市からこちらに避難された母さんもおられます。授業後の子ども達が、ゆったり勉強しています。午後四時ころからお迎えに見える子もいます。比較的短い持間での演奏でしたが、「スーホの白い馬」の上演の頃には、子供たちはすっかり物語に魅了されています。帰るとき、皆が「ありがとう」のパネルを持って、声をそろえて感謝を伝えてくれました。
大野田児童館の皆様ありがとうございました。

長町仮設2.jpg涙の「斎太郎節」「見上げてごらん夜の星を」、手を繋いで「トトロのさんぽ」の大合唱。公演最終の感動フィナーレ。

いよいよ、公演最終日の18日午後。場所は、仙台市太白区あすと長町仮設住宅集会所です。大野田児童館・福祉施設「円」・あすと長町仮設住宅での演奏をコーデイネイトして下さった宮城大人子供劇場の中村事務局様・森代表様も終日同行してくださいました。また、あすと長町仮設住宅の谷政子さまを始め、仮設住宅での心温まる取り組みをされておられる皆様に心より感謝申し上げます。

長町仮設.jpg午後二時の開演前から、スタッフが参加者の皆様に、お茶をお配りし、温かいおもてなしをされておられます。心安らぐコンサートの開幕にぴったりです。「かたたきゲーム」で笑い和み、加藤たかまささんの歌の「巡り合い」即興バージョンでは、仮設住宅の皆様の名前がどんどん歌の中に入って行きます。仮設住宅住民の名前が歌われ、わーっと盛り上がります。そして、胡弓のソロ演奏、「スーホの白い馬」、最後の「斎太郎節」では、踊りだす人もいます。やがて、皆の目に涙が・・・。「見上げてごらん夜の星を」は、みんな涙をいっぱいためていました。「ほんとうにありがとう。」「ほんとうに楽しく・幸せなひと時でした。」皆が、涙をためて話してくれます。「手を繋いでトトロのさんぽをうたいましょう。」といのこふくよさんの声が飛びました。こどもプログラムの登場です。「歩こう歩こうわたしは元気 歩くの大好きどんどんゆこう・・・。」参加者全員が手を繋いで一つの輪になっていきます。90歳近いおばあさんもおじいさんもスタッフも一つの輪です。
大きな感動と、明日からもゆっくり「前を向いて生きていく元気をもらいました。本当にありがとう。」沢山の涙と、手作りのおにぎりと名物の桃もなかをいただきました。公演終了.jpg10.18おとつむぎネットⅣを終えて、太白区あすと長町仮設住宅での全員写真

多くの心の支援と温かい命のつながりによる復興が、これから大切なときです

阪神大震災の仮設住宅で、次のような話を聞きました。「仮設住宅で集いが開かれれば、声をかけあう機会が増えます。一緒に集会所でお茶をのみ交流する機会が増えます。長い避難生活で疲れてなかなか外に出る元気がない方も多いですが、何度も声をかけられれば、体調と気分が良いときに、ふと行ってお茶を飲む気になるときもあります。こうして、少しずつ交流し、知り合い、安心できる知人が増えて行くのです。また、集いの場で、感動し、心の中に、明るい風が吹いて、前を向いていきる力が沸いてきます。交流や集いのない仮設住宅では孤独死の方も増えているような気がします。ぜひ、沢山の素敵な集いを開催することが大切です。」
 「おとつむぎネット」の四回目の被災地公演を終えて、ますます、心の支援の大切さを実感しています。被災地から、これからもよろしくお願いしたいという声を沢山いただいております。ぜひ、その期待に応えたいと思っております。と同時に私たちは、プロの演奏家です。こちらでの公演は不況と震災によって大きな打撃を受けており、仕事が成り立っていないのも現状です。地元愛知・岐阜の多くの方々のご協力や募金で、わたしたち「おとつむぎネット」公演と写真展は、成り立っております。
 これからも、多くの皆様のご協力をいただきながら、ぜひ、次回の「おとつむぎネット」被災地公演を実現させたいと思っております。あさかSA.jpg10.15福島県安積SAにて安積SA.jpg放射能を測定している方がおりました。駐車場は、0.6マイクロシーベルトだったそうです。以前に比べて、どのSAも、被災地支援自動車が少なくなりました。安積測定2.jpg安積SAの林では1.5マイクロシーベルトでした。測定者は「たいしたことない。」といわれたそうです。

愛知・岐阜での報告公演・石田音人コンサート予定
11312時名古屋市中村区鴨付け町福祉施設「べにしだの家」の「べにしだ祭り」
1161230分清須市民センター(清洲城すぐ南)「清須食育祭り 石田音人胡弓コンサート」
1111日 11時岐阜県可児市広見が丘公民館
1119日自然食レストラン空色勾玉 yellow soul ライブのゲスト出演
名古屋市
中区新栄3-16-21. 電話番号, 052-251-6949
12月10日名古屋市北区楠「人生夢空間」
2012年1月14日13:30南区生涯学習センター 石田音人講演・演奏

2011.9.24.防災フェスタ2011inテレビ塔

秋晴れのもと、開催された防災フェスタに出演。
 加藤たかまささんとのジョイント、「いのちを見つめてver2」などを演奏させていただきました。加藤たかまさ.jpg胡弓ソロ.jpg命を見つめて.jpg

9.19

2011.9.23NHKほっとイブニング「ふるさと探検」で、9月11日の東海豪雨11年・東
日本大震災半年の集いが紹介されました。

20112011.9.11「東海豪雨11年・東日本大震災半年のつどい」ご参加・ご協力ありがとうございました。大和公民館水位.jpg清須市西枇杷島町大和町コミュニテイセンターは、2000.9.12の東海豪雨で2メートル近くの浸水地域です。写真の青い部分まで浸水しました。ちょうど、石田音人の看板を貼り付けた柱の裏側の壁が、今でも崩れていました。大和公民館1.jpg愛知県内の東日本大震災被災避難者の支援の取り組みを、滝川裕康様に講演していただきました。戸水純江様からは、東海豪雨当時のお話をしていただきました。ありがとうございました。東海テレビ・名古屋テレビ・NHKテレビの取材がありました。

大和写真.jpg午前中から、100枚を越える東海豪雨の写真パネルを作成・準備しました。新川町の藤掛様・大和町の村田様、ご協力ありがとうございました。東海豪雨関係100枚以上、東日本大震災被災地支援関係200枚以上の写真を、大和町コミュニテイセンターに展示させていただきました。2011あしはら公園.jpg17時からのあしはら公園のつどいでは、水仙の移植と100本以上の竹蝋燭に点灯し、東海豪雨・東日本大震災犠牲者の追悼をさせていただきました。

2011竹とうろう.jpg東海豪雨の水仙を、植え広げておられる山田則子様とともに、あしはら公園に新たに水仙を植えました。東日本大震災被災地の石巻総合体育館前k里埋葬所、大川小学校三角地帯、雄勝病院に移植させていただき、七ヶ浜町にも水仙をお届けしました。今回、水仙の看板を3個作成し、移植場所に設置させていただきました。2011.911竹灯篭.jpg東海豪雨の9.11、東日本大震災の3.11の数字の形に竹灯篭を並べ、追悼・復興の願いをこめて、点灯・黙祷させていただきました。


「おとつむぎネット」・胡弓演奏家 石田音人 演奏・胡弓製作・胡弓教室「胡弓つむぎの会」の軌跡

2011.9.11東海豪雨11年・東日本大震災半年の集いに、ぜひ、ご参加下さい2011チラシ.jpg今年は、東日本大震災の追悼を、ぜひ行いと考え、東海豪雨で町の半数以上の家屋が被災した新川町の竹を素材に、100余りの竹灯篭を作成、皆様の手によって点灯していただき、祈りを捧げたいと思っております。

2011.8.11から8.15名古屋市公会堂の一階と4階で、東日本大震災被災地支援写真展に出展(石田音人、花井知之、東畑賢治、こやまきよし撮影)展示4.jpg若者も、熱心見ていただきました・

展示2.jpgタイトルをつけていただきました展示3.jpg4階の広い展示室には、多くのコーナーに充実した資料が展示されており、多くの参加者が熱心に見ておられました。沖縄戦新聞復刻版.jpg沖縄戦当時の新聞の復興版現時点で、愛知県内で、収集できる最も多くの戦争に関する資料が展示されておりました。
満州事変、沖縄戦、戦時の東南海地震、名古屋空襲の被災者名簿、イランイラク戦争のウラン爆弾の放射能・ベトナム枯葉剤影響、広島・長崎の原爆、朝鮮からの強制連行・・・多くのコーナーに写真・資料が展示され、命の尊さを伝える非常に貴重な平和のための戦争展でした。

2011.8.5静岡県焼津市浜通りあかり展会場まぐろ・かつお佃煮老舗「ぬかや斎藤商店」にて、胡弓演奏・写真展を開催していただきました。焼津浜通りあかり展4.jpg焼津浜通りあかり展1.jpg東日本大震災の写真を見ていただきました。焼津浜通りあかり展2.jpg

2011.7.30名古屋市長楽寺動物霊園長楽寺動物盂蘭盆会
 石田音人胡弓演奏会・東日本大震災被災地写真展

江戸時代より動物供養の伝統のある長楽寺の動物盂蘭盆会で、胡弓の演奏会・東日本大震災の写真展を開催していただきました。長楽寺は、大震災の被災した動物供養をされておられます。長楽寺6.jpg長楽寺客殿前にて胡弓演奏と写真展を開催長楽寺8.jpg長楽寺写真展.jpg長楽寺1.jpg

2011.7.18名古屋市本山生協会館「東日本大震災被災地支援結コンサート」ご協力ありがとうございました。
 被災地演奏支援協力募金(94,000の募金が集まりました)は、被災地での支援公演事業に活用させていただきます。現在10月中旬の被災地公演にむけて準備を進めています。本山3.jpg青い空 歌・ギター加藤たかまさ、胡弓石田音人、tリコーダー井上馨

本山.jpg胡弓・被災地支援スライド報告・

本山4.jpgおこんじょうるり。朗読いのこふくよ・義太夫三味線石田音人

東日本大震災被災地演奏支援「おとつむぎネット」写真展 

   ・名古屋北区楠地区会館7月30日 まで写真パネル展示
 ・名古屋市北区上飯田南町2 8月中旬まで、喫茶伊那谷  写真集閲覧可能
   喫茶伊那谷では、東日本大震災被災地支援演奏の募金のご協力いただいております。心より感謝申しあげます。
コンサート・写真展
  8月5日焼津市焼津商店街あかり点 胡弓ミニコンサート・写真展
  8月14日pm1時より名古屋市公会堂  

 あいち・平和のための戦争展20周年特別企画(事務局代表:愛知県平和委員会)

     この企画の中で、石田音人コンサート・写真展も行われます。参加量1000円
         TEL:052-931-0070
FAX:052-933-3249
  8月25日午前10時30分 可児市広見が丘第一集会所 

東日本大震災被災地演奏支援「おとつむぎネットⅢ」報告

 ご協力ありがとうございました。

  東海豪雨を語り継ぐ会・ふれ愛名古屋・喫茶伊那谷・戸水純江様・石田美也子様・洛北青年合唱団ニ期研究生有志・喫茶ピサロ様・石田流華道会次期家元石田巳賀様・ユーカリいのっ子朗読の会・徳水博志雄勝小学校教諭・レスキュストックヤード・七ヶ浜社会福祉協議会・七ヶ浜ボランテイアセンター・宮城県立こども病院奈良医師

 演奏者・スタッフ  団長・胡弓演奏家石田音人
            朗読・演出家 いのこふくよ
            シガーソングライター 加藤たかまさ
            スタッフ・歌・三線演奏 小澤恵里
            スタッフ・歌・看板イラスト 菅沼あずみ
            写真撮影        東畑賢治

おとつむぎネット活動場所.jpg「おとつむぎネット」支援演奏、献花、追悼地域

名取市(7月9日献花・黙祷)

名取インター.jpg7月8日夜9時、名古屋市のウィル愛知を出発、9日早朝8時宮城県名取インターを出ました。インターを出るとすぐ左手に、津波で流された舟が横たわっていました。ゆりあげ4.jpg名取市は、千名を越える津波の犠牲者の地区です。名取川名取川河口に近いゆりあげ地区は、ほとんどの建物が流されました。今回の
演奏支援のプロジェクトの内容をお話し、この地区への通行許可をいただき、献花・黙祷をさせていただきました。ゆりあげ漁港付近は、多くの建物が失われ、撤去が進んでいました。漁港の建物は、コンクリートの枠がのこされているままです。
ゆりあげ5.jpgゆりあげ地区の日和山で、献花・黙祷させていただきました。献花は、名古屋の石田流華道会次期家元石田巳賀様にご提供していただきました。ありがとうございました。犠牲者を追悼する碑には「いつも一緒」としるされていました。ご冥福をお祈りいたします。ゆりあげ3.jpgゆりあげ日和山.jpgゆりあげ地区日和山.jpgゆりあげ2.jpg

7月9日(仙台市若林区荒浜地区)荒浜小体育館8.jpg荒浜小トラクター.jpg荒浜小献花.jpg荒浜小体育館4.jpg荒浜小体育館7.jpg津波によって大きな被害を受けた、仙台市。この若林区荒浜地区は校舎の二階に達する津波に襲われました。校庭には、被災地し大きく損傷したトラクターが並べられ、この地域が豊かな田園地域であったことを物語っています。荒浜小学校の片隅で、献花・黙祷をさせていただきました。

宮城県立こども病院(7月9日)

こども病院.jpgなら先生.jpg7月9日午後、宮城仙台ICの近くの宮城県立こども病院で、演奏させていただきました。旅の音楽家丸山祐一郎氏紹介していただいたこども病院の奈良医師が、今回の演奏会をコーデイネートしてくださいました。
 奈良医師は、インドの民族楽器サーランギの名手で、休日は東日本大震災被災地の避難所で演奏支援を行っておられます。私たちは、各フロアーで、演奏させていただきました。親子が、耳を澄まして、楽器の音色を聞いていました。

七ヶ浜(7月10日)

七ヶ浜火力発電所付近.jpg七ヶ浜海岸1.jpg海岸に近い町は、津波の傷跡がそのまま残っていました。七ヶ浜アルバム回収.jpg津波で流された家・自動車・家具・網などの中にアルバムをみつけました。これを拾い出し、七ヶ浜のボランテイアセンターに届けました。この作業中「ただいま津波注意報が発令しています。海岸におられる方々は至急高台へ避難してください。」という放送が流れました。宮城県沖で、マグニチュード7.1の地震でした。至急高台へ避難しました。

七ヶ浜湊浜町営住宅跡地仮設住宅集会所にて演奏七ヶ浜湊浜3.jpg
七ヶ浜湊浜5.jpg七ヶ浜湊浜4.jpg七ヶ浜国際村3.jpg七ヶ浜湊浜6.jpg

はじめはいのこふくよさんの紙芝居「はじめまして」です。熱演に、親子が瞳を輝かせていました。二番手は加藤たかまささん。そして小澤恵里さんが、「童神」を歌と
三線で披露、石田音人が胡弓で入りました。最後は「おこんじょうるり」をいのこさんと音人で演じました。

七ヶ浜国際村第二駐車場仮設住宅集会所
七ヶ浜国際村1.jpg七ヶ浜国際村2.jpg

菅沼あずみさんは、加藤たかまささんと会場と一緒になって「アイアイ」を歌いました。

七ヶ浜ボランテイアきずな館前芝生広場
七ヶ浜レスキュースタッフ.jpg七ヶ浜広場4.jpg七ヶ浜広場2.jpg七ヶ浜広場3.jpg七ヶ浜広場.jpg

この日、宮城県は35度を越える猛暑と夕立と地震に見舞われましたが、七ヶ浜ボランテイアきずな館前の芝生広場での野外ステージ開始時は、晴天となり、最高の野外ライブ
となりました。

7月11日石巻市

石巻市日和山.jpg石巻市日和山1.jpg
7月11日早朝、石巻市日和山公園にて。多大な被害を受けた石巻市の港と市街地を望みます。
石巻市2.jpg石巻市3.jpg石巻市4.jpg石巻市5.jpg旧北上川沿いには、流された舟が残っていました。
門脇小1.jpg門脇小2.jpg日和山麓の門脇小学校で、七夕飾りを添えて、ご冥福をお祈りしました。

北上大橋の一部.jpg河北地区から北上川を河口に向かって走ります。石巻市立橋浦小学校は、大川小学校の対岸の山の麓にあります。北上大橋の巨大な鉄橋が津波でもぎ取られ折れ曲がり、川岸に打ち上げられていました。

学校公演・・優しく暖かい先生方に囲まれて、辛く悲しいできごとを体験したこどもたちは、明日に向かって元気に歩んでいました。力いっぱい手拍子して、歌ってくれてありがとう。橋浦小5.jpg橋浦小4.jpg橋浦小学校・相川小学校・吉浜小学校

相川小学校・吉浜小学校は、北上川の河口の海岸付近の学校です。3月11日、津波は校舎の三階まで襲い、町のすべてを呑み込んでしまいました。雄勝小学校は、港からの津波が21メートルにも達して、校舎の屋上の遥か上まで呑み込んで行きました。全児童が,避難した直後のことでした。

雄勝小学校

雄勝小7.jpg雄勝小6.jpg雄勝小と観光バス.jpg7月11日の雄勝小学校は、津波直後のままでした。

二俣小学校

二俣小学校5.jpg二俣小3.jpg大川小学校児童をはじめ近郊から、避難してきた児童もみんなと学んでいます。「ビリーブ」「トトロのさんぽ」力いっぱい歌いました。

2011.6.25(土)PM3:00「東日本大震災支援ほんのりミニミニコンサートin古川美術館

直前の設定20110624071054.bmp

2011.7.9~7.11「おとつむぎネット」Ⅲ宮城公演プログラム

7.9.11宮城コンサート.bmp

2011.7.18.東日本大震災被災地支援・報告「結コンサート」

紬コンサート7.18.bmp

「おとつむぎネット」プロジェクトⅢ7月8日〜12日

直前の設定20110608085218.bmp

image001.jpgimage002.jpgimage003.jpg

「おとつむぎネット」プロジェクトⅡ
5月15日石巻市雄勝地区・16日宮城郡七ヶ浜地区演奏支援プロジェクト報告

石巻市雄勝地区、宮城郡七ヶ地区演奏支援プロジェクト(おとつむぎネット
)
image004.jpg

5月14日名古屋市西区上小田井駅集合。左から、井上馨様(ジャンべ・リコーダー演奏、NPOひょうたんカフェ【障がい者支援】)丹羽達也(福祉支援スタッフ・NPOなっとわあく春日井【障がい児童デイサービス】)、こやまきよし様(チャランゴ演奏・カメラマン【旅の托鉢者】)、石田音人(プロジェクト団長・胡弓演奏家・「おとつむぎネット」副代表」),鈴木由夫様(プロジェクト統括・福祉支援スタッフ代表NPOふれ愛名古屋代表【重度障がい時デイサービス】・「おとつむぎネット」代表)、花井知之様(カメラマン・StudioGuild)以上のメンバーです。(写真撮影花井知之)

image005.jpg石巻市雄勝地区の慰問演奏をコーデイネートして下さった徳水博志雄様(雄勝小学校教師)心の支援を」
石田音人の28年前の京都洛北青年合唱団2期研究生の友人です。今回の大震災での大きな被災をされ、大変な日々の中で、「現地は、今、心の支援が必要な時。もし、演奏支援こられるなら、僕が避難所の担当の方と話をするよ。」と今回の演奏プロジェクトために全面的なご協力をいただきました。心より感謝申し上げます。
(写真撮影 花井知之)

image007.jpg宮城郡七ヶ浜では、東海豪雨の被災地支援以後、新潟中越沖地震被災地、兵庫県佐用町水害被災地、岡崎豪雨被災地支援など、多くの協力関係にあったレスキューストックヤードが現地の「ボランテイアきずな館」の管理運営を委託され、七ヶ浜地区の被災支援の尽力されておりました。写真左より浦野レスキューストックヤード理事様、と演奏のコーデイネートをしてくださいました石井様です。浦野様は「被災地では、みな気丈に振舞っていますが。心の支援はとても大事です。」と石井様ともども今回の演奏支援にご協力いただきました。ありがとうございました。

image008.jpg5月15日 夜が明ける頃、仙台市に入り、5::30 石巻河北ICをでました。コンビにで、朝食・お茶を調達、、北上川の堤防を、下ります。やがて、岸辺には巨木が根こそぎ流され、小船が打ち上げられた光景が広がり、堤防を越えた津波が家々を破壊した痕跡が広がり、北上川の真ん中にに鉄製の巨大な橋の残骸がありました。河口から5キロの場所に北上大橋があります。大きな橋の、強靭な鉄の橋がもぎ取られていました。ここで、右折して釜谷トンネルを抜けると雄勝地区、交差点すぐ先には。大川小学校があります。image009.jpg

image010.jpgimage011.jpgimage012.jpgimage014.jpgimage015.jpg大川小学校では、73名の児童と10名の先生の尊い命が犠牲になりました。美しい校舎と多くの命を津波が呑み込みました。子どもへの愛する思いが、こいのぼりや添えてあるミッキーのぬいぐるみに溢れています。ご冥福を祈り黙祷と献花をさせていただきました。
 写真撮影こやまきよし
写真撮影 花井知之

image017.jpgimage019.jpgimage020.jpg北上川を遡った津波は、釜谷峠の入り口まで自動車や建物を呑み込んで到達していました。やがて釜谷トンネルと抜けて峠を下ると、雄勝港からの津波が雄勝地区の高台まで達した痕跡がありました。徳水先生が「(標高)40メートルまで駆け上った。」と言っておりました。雄勝の町は壊滅でした。

image022.jpg雄勝小学校の校舎屋上を津波が越えました。被災当時の雄勝小学校の避難状況を徳水先生からうかがいました。大きな揺れの直後、大津波警報。雄勝小学校の先生方は、20メートルの津波が到達するまで15分の間に、学校裏の山に全員を避難誘導させました。直後、バリバリというものすごい響きとうねった波が、土煙をあげて家々を呑み込んでいったそうです。この世のものと思えない光景を後ろに見て、すさまじい音が響く中、児童を必死に誘導したそうです。


image023.jpg山を登り、山中の旧焼却場跡地に子どもたちと雄勝の住民が避難されたそうです。
 未明から、雪。冷えた子どもたちを暖めるために、外で焚き火をしました。写真は雄勝小学校児童と先生が避難した裏山への経路です。焼却場跡地内の水を、皆で分け合いながら、数日しのぎましたが、水も底をつきました。地域の事情を良く知っておられる住民が沢の水を汲んできて、力をあわせて、寒さと渇きをしのいだそうです。

image024.jpgimage026.jpgimage027.jpg雄勝小学校の隣に、国の無形文化財「雄勝法印神楽」奉納神社の一つ新山神社があります。高台の上にの神社が跡形もなく津波に呑み込まれていました。

付近には奉納御輿と太鼓がありました。(雄勝法印神楽の被災支援基金に今回のプロジェクトから募金をさせていただきました。)

image028.jpgimage030.jpgimage032.jpg雄勝病院は、鉄筋コンクリートの3階建ての立派な建物で、雄勝の町の医療の拠点でした。津波で、40名の患者(出入り業者含む)全員と看護婦・医師の9割に当たる22名が犠牲になりました。津波が襲ったとき、3階に避難しましたが、それを越える高さの津波が襲い、患者を屋上に避難させようとしました。しかし、津波は3階の病院の屋上を越えて、病院をすべて呑み込んでいきました。「津波は、屋上まで呑み込み、海側から雄勝病院を見ていた方が、病院から(引き波が)滝のように落ちてきた、と話されたそうです。」(徳水先生談) 海の崩れた防波堤の目前に、雄勝病院あります。雄勝支所から250メートルほどの場所です。3階の窓も破れています。すぐ裏は山を切り開いきコンクリートで固めて合ったように見えました。病院の駐車場には、地震当日に勤務された職員・訪れた患者の皆様の自動車が泥をかぶったままの状態で置かれていました。
病院入り口で献花とご冥福を祈り、黙祷と水仙の移植をさせていただきました。

image034.jpgimage035.jpg8:30 雄勝支所 徳水先生と合流。
 雄勝支所は災害本部が置かれていました。被災当日、津波は支所の3回屋上を超え、一部4階の上に達し、その上の鉄塔に登って助かった職員がおられたそうです。東海豪雨被災地からの寄せ書きと、東日本大震災被災地支援チャリテイコンサートin西枇実行委員会から雄勝の学校関係のへの義援金5万円をお渡ししました。この日の、慰問・支援演奏は徳水先生の事前からのコーデイネートのおかげです。ポスターも雄勝災害対策本部の窓に掲示されておりました。

image037.jpg10:00~11:00 名振コミュニテイセンター慰問演奏。名振地区は小さな漁港です。漁船は、路上に打ち上げられたままで、瓦礫は、自動車一台分だけ除去され、重機はまだ入っていないようでした。震災当日、協力して高台の保育園へ、さらに高台の名振コミュニテイセンターへ避難され、全員無事だったのことです。しかし、雄勝病院で、治療中の名振地区の方や、港の船の中におられた方が犠牲になられたそうです。image036.jpg
前日に電気が復旧したそうです。胡弓のソロで涙そうそう、津軽三味線で地元の民謡「斎太郎節」などを演奏し、後半で、「故郷」「見上げてごらん夜の星を」を一緒に合掌しながら胡弓を演奏しました。多くの方々が泣いておられます。傍らで、徳水夫妻も聞いておられました。「お昼をご一緒に」と名振の避難所の方が声をかけて下さいました。徳水利枝様が、手作りのおにぎりといなり寿司、郷土料理のみそのシソ巻きでもてなしてくださいました。プロジェクトメンバーへのあたたかいおもてなし、ありがとうございました。

image038.jpgimage039.jpg午後は雄勝の半島の先端の丘にある大須小学校避難所での慰問演奏です。途中の高台で、美しい海と半島を一望できる場所にご案内いただきました。雄勝の港は、養殖のホタテ・牡蠣のいかだや網で覆われています。image040.jpg津波は、それらをすべて奪い、静かな波頭とぽつんと浮かぶ家の屋根がありました。がけ下にも家の屋根が浮かんでいました。

image041.jpg13:00~14:00大須小学校慰問演奏。その後、この日の最後の慰問演奏場所、河北総合センター(ビッグバン)に移動しました。雄勝地区から15キロ、大川小学校から10キロほどの距離です。雄勝地区・大川小学校地区・河北地区など広い地域から多くの方々が避難生活をされておられます。 「徳水先生!」避難所の子どもたちが、うれしそうに声をかけ、取り囲みます。ここでも、徳水先生は慕われておられます。
「 明るく優しくいこう!」と心に決め、「長い間、本当にお疲れ様でした。お疲れの体と心を、ゆっくりお休み下さい。ほんのささやかな心の癒しにしていただけること願って演奏させていただきます」演奏スタートです。

image043.jpg20:00~松島町でキャンプ(写真撮影 花井知之)


image044.jpg16日 10:00  仙台市鶴が丘の障がい者支援施設「コスモスクラブ」へ、NPOふれ愛名古屋が、よびかけて集められた絵本などの物資を手渡しました。(写真撮影 花井知之)、コスモスクラブの皆様は、私たちをあたたかく迎えてくださいました。ありがとうございました。

image045.jpgimage046.jpg12:00 宮城郡七ヶ浜ボランテイアきずな館到着。七ヶ浜のボランテイアセンターの拠点として3週間ほど前に設立され、管理運営をレスキューストックヤードが委託され、運営しております。 名古屋から「足湯」「浜の清掃」などにお見えになっているボランテイアの皆様と一緒に昼食をいただきました。仮設住宅が急ピッチで建設されています。

image048.jpgimage050.jpgimage052.jpgimage053.jpgimage055.jpg七ヶ浜町の海岸地帯は、津波によって大きな被害を受けており、地震の揺れによる建物の被害もありました。
レスキューストックヤードの石井様が、七ヶ浜の演奏支援コーデイネートをして下さいました。七ヶ浜中央公民館・国際村の両施設では、200名の方々が生活されておられます。広いロビーでの演奏でしたが、50~60名の方々が聞きにお出でになりました。目頭を熱くされ、涙を拭いながらの故郷合唱で締めくくりました。image056.jpg
(写真撮影こやまきよし)
image057.jpgimage060.jpgリコーダー井上馨,チャランゴ弾き語りこやまきよし 写真撮影 花井知之)午後2時から3時七ヶ浜中央公民館での演奏。image059.jpg午後5時30分から6時 国際村での演奏。16日午後6時30分、今回の演奏支援プロジェクトをすべて終了し、すぐ名古屋へと向かいました。17日午前5時30分予定と通り、名古屋に到着しました。

雄勝地区の徳水博志様・利枝様、七ヶ浜地区の石井様・浦野様(レスキューストックヤード)、現地でのコーデイネートなど多大なご協力ありがとうございました。
 東日本大震災被災地支援チャリテイコンサートin西枇実行委員会、東海豪雨を語り継ぐ会、NPOふれ愛名古屋、東日本大震災被災地支援チャリテイコンサートinYAMADA実行委員会有志、洛北青年合唱団2期研究生有志、佐藤産業、名古屋能楽堂スタッフ有志の皆様、ご協力ありがとうございました。

5月14日石巻市雄勝地区・宮城郡七ヶ浜地区演奏支援に出発します。(石巻雄勝地区・宮城郡七ヶ浜地区支援演奏プロジェクト)
団長・ 石田音人(胡弓・三味線演奏家)  統括責任者 鈴木由夫(NPOふれ愛名古屋理事長) 打楽器・リコーダー演奏 井上馨(NPOひょうたんカフェ)  カメラマン・チャランゴ演奏 こやまきよし(旅の托鉢人) カメラマン 花井知之(studio guild) 福祉関係スタッフ丹羽達也(NPOなっとわあく春日井)様 

このプロジェクトは、「東日本大震災被災地支援チャリテイコンサートin西枇」、NPOふれ愛名古屋、音人ボーダレスサウンドクリエイト、洛北青年合唱団二期研究生有志、東海豪雨を語り継ぐ会、名古屋能楽堂スタッフ有志、佐藤産業、喫茶「伊那谷」、「東日本大震災被災地支援チャリテイコンサートinYamada」実行委員会有志、戸水澄江様、山田則子様の協賛をいただいております。

2011.4.23.東日本大震災被災地支援チャリテイ演奏会in西枇 ご参加・ご協力ありがとうございました。image061.jpg

image062.jpgimage064.jpg寄せ書き・写真パネル・募金箱
11年前の9月11日・12日の東海豪雨で大きな被害を受け、長年復興の努力を重ねてこられた地元の皆様が、今回の東日本大震災被災地の皆様へ、復興への願いを心を込めて、寄せ書きに綴られました。当時、全国からボランテイア支援駆けつけてくださった多くの方々への感謝の気持ちを込めて、東日本大震災支援に取り組んでいます。

出演者の皆様

image065.jpg野のゆりコーラス様
image067.jpg独唱 高岡美千代様
image068.jpgハーモニカ独奏 小平隆雄様 
image070.jpgギター 歌 長谷川パンダ様
image071.jpgスライドで被災地での献花・ご焼香・追悼演奏紹介 石田音人
image073.jpgクールデメールの皆様と「水仙」「故郷」合唱

image075.jpg2011.4.17.東日本大震災被災地支援チャリテイ演奏会in YAMADAご参加・ご協力ありがとうございました。

image076.jpg2000年9月12日、前日からの豪雨により、この地域の新川堤防が決壊し、多くの家屋が浸水、復興の長い道のりに努められてきました。その被災地区である山田学区の各自治会、山田支所、女性会を始め、多くの皆様に、今回の支援チャリテイコンサートのご協力をいただきました。

image077.jpg東日本大震災被災地の復興を願い会場とともに「故郷」を合唱しました。
image079.jpg準備される実行委員会の皆様
image081.jpg独唱 森裕裕加里 様 
image082.jpgピアノ連弾 fleuri 伊東・山本様
image083.jpg星太鼓
image084.jpg平田子供太鼓
image085.jpg民謡 津田洋子様
image087.jpgフラダンス 近藤しげ美様
image089.jpg木村勇介(GANA)様と有志
image090.jpg中小田井火消し太鼓
image091.jpg石田音人&伊藤卓哉

2011.4.10.東日本大震災被災者支援アーテイストチェーンに出演、4/6・7の被災地石巻の写真パネルも街頭展示させていただきました。招き猫大須-0112.jpg

2011.4.10.PM1:00東日本大震災被災者支援のためのチャリティーイベント《アーティストチェーン in 大須 vol.1》出演者として、スタッフとして、観客として、皆様の参加をお待ちしています。

時:2011年4月10日(日)PM1~5
場所:大須まねき猫(ふれあい広場)

出演者、出演グループ(おおよその出演順)
山口晃司(津軽三味線)
西川千雅(日本舞踊)+和太鼓チームのパレード
沖牟田安(和太鼓)
こかチちかこ(ダンスパフォーマンス)+大橋淑恵(ヴァイオリン)+藤田桂子
(歌)+棚機津女(美術)
クロノズ(ダンスパフォーマンス)
石田音人(胡弓)
榊原洋子(ジャズボーカル)
たなかつとむ(民俗楽団チャンチキ)
石井廣隆(カット)+小木曽浩美(メイク)
西川千雅+ALL

「おとつむぎネット」被災地支援演奏プロジェクトⅠ2011.4/6.7仙台・石巻よりDSCN2505.JPG石巻市旧北上川中瀬4/6.7仙台・石巻より

石巻市はお亡くなりになった方・行方不明者五千人を超える大きな被害を受けた町です。DSCN0641.JPG

 日和山の石巻総合体育館では、昨日24名の亡くなられた方が安置されておられました。しばらく前は、300名の方々が安置されておりました。

 東海豪雨・伊勢湾台風の被災地の一人として献花とご焼香をさせていただきました。静かな体育館に残された24名の棺に、深い悲しみの涙がとまりませんでした。

 総合体育館前の敷地に、お亡くなりになった150名を超える方々が、仮埋葬されております。

 悲しみの中、追悼の胡弓演奏をさせていただきました。DSCN0005-1.JPG

 お母様が亡くなられたご遺族の男性が、「・・番の前で、演奏してあげてください。」といわれ、お母様のご冥福を願い「故郷」を演奏させていただきました。

 「心に染みました」とお礼を言われた方は、「埋葬は2年間といわれるけど、早く火葬にしてあげたい、二年後には、この町で暮しているかわからないから。・・」と話されました。

 総合体育館の職員の方のはからいで、仮埋葬の近隣に東海豪雨で住民を励ました水仙の花と球根を6株植えさせていただきました。

DSCN2334.JPG

 その日和山(高さは50メートルほど)の丘陵8日和ヶ丘)の向こうが、南に600メートル、東西は数キロに続く町並みのすべてが流され石油で燃え尽きた一帯です。

 門脇小学校は、日和が丘のすぐ麓です。校舎の3階の天井までが、焼け落ち、運動場は鉄鋼つとスクラップとなってうずたかく積まれた車、重機が入って道を作った後には、ガラス・陶器・金属の破片が散らばり、金属のこげた臭いが漂っていました。

 正門付近の、瓦礫にたたずむ母娘がおられ「兄がここに住んでいて、いまだに行方がわかりません。いくつか避難所を回ったのですが・・・・無事でいてくれるといいのですが・・・」と兄の家の敷地で、思い出の品々や手がかりを探されておられました。

 「がんばってください。・・」としか声をかけれませんでした。

 体育館の職員の方「友人・知人が亡くなりました。この町では、誰もが、そうです。・・」と話されました。

 バスで一緒になった石巻の中央三付近の歯科医の方は、震災直後、患者の方とスタッフを至急帰した直後、津波が二階間際まで襲い、スタッフの3人の命が奪われました。・・・・今、たまっていた疲れがピークです・・」と話されました。

 町は、ボランテイアを含めて復旧に努めています。

 真っ黒なヘドロを掻き出し、重機で道を広げています。

以下、石巻ボランテイアセンターの情報を引用させていただきます。

「 全国のボランテイアの受付も始まりました。仙台駅では、4月11日まで、下記のように、直行バスで、石巻までボランテイア支援に出発しています。


石巻市災害ボランティアセンターではガソリン供給不足を考慮し、当面の間、仙台駅東口~石巻専修大学間の無料シャトルバスを運行します。
 ご協力いただける方は、日帰りボランティアとして指定乗車場所に集合してください。東北福祉大学ボランティアセンターの協力により先着80名に整理券を配布し乗車人員を整理させていただきます。
①期間 3月29日(火)~ 1週間程度
②乗車場所 仙台駅東口(TBCハウジングステーション前)
③運行 仙台午前7時45分発→石巻午前9時15分着 石巻午後6時発→仙台午後7時30分着
④活動 主に家屋の清掃、ドロ出し、避難所支援など
⑤準備物 長靴、カッパ、ゴム手袋、昼食、飲み物など(スコップ、バケツ、一輪車などの資材はこちらで準備します)
問合せ電話 0225-23-6011(6012・6014・6015)」引用終わり

 4月7日朝、石巻ボランテイア支援部隊に寄せ書きを手渡すことができました。
 名古屋より、応援をよろしくお願いいたします。後日写真をアップロードします。

「おとつむぎネット」東日本大震災被災地支援プロジェクトⅠ
2011.4.5本日夜行バスで東北関東大震災被災地へ出発します。4月6日石巻で、献花とご冥福を祈り胡弓を奏でます。

 支援演奏のボランテイア基金・寸志などのご協力ありがとうございます。
  ご協力者名  災害につよいまちづくりを進める会 滝川裕康様
           西枇杷島町 喫茶 花野庵      真野  様
           山田圭祐様  名古屋市西区山田学区自治会様
           3.21名古屋能楽堂胡弓新境地コンサートにてCDをお買いいただい皆様

2011.4.10.PM1:00~(予定)大須商店街にて、被災地支援演奏会が愛知県芸術協会の若手グループ「てな」の呼びかけで開催されます。胡弓演奏で、参加いたします。

2011.4.17.東海豪雨被災地区の名古屋市西区山田学区の山田地区会館にて、PM5:30~(予定)より東日本大震災支援チャリテイコンサートin Yamadaが開催されます。

2011.3.27中日新聞より2011.3.17東北関東大震災支援1.jpg

2011,3,26チラシ.jpg2011.3.26pm7:00東日本大震災被災地支援・募金コンサートで胡弓演奏しました

DSCN0590.JPG会場設営される藤掛進午様3011.3.26写真.jpg3.26清須市坂町公民館での東日本大震災被災地支援演奏DSCN0586.JPG被災地写真記事のパネル

場所 清須市新川町旧坂巻公民館 問合せ 藤掛0524006656

 11年前の東海豪雨被災地からの東北関東大震災支援の集いです。

胡弓新境地コーナーを作りました。胡弓新境地

DSCN0573.JPG2011.3.21.名古屋能楽堂(撮影こやまきよし)2011.3.21.名古屋能楽堂を埋め尽くした満席のお客様に囲まれ、感動的な胡弓新境地コンサートを無事終えることができました。東北関東大震災の義援金のご協力ありがとうございました。(胡弓新境地)

DSCN0581.JPGロビーでは、東北関東大震災への義援金の募金が行われ多くのご協力をいただきました。東北関東大震災被災地への義援金のご協力ありがとうござました。



DSCN0488.JPG胡弓の立奏で、募金を呼びかける2011.3.17.名古屋栄三越南で、東北関東大震災ボランテイア活動募金に胡弓で参加DSCN0491.JPG北風の中、胡弓を演奏しながら、募金の呼びかけをしました。

3月21日「胡弓新境地コンサート」および3月19日の朗読劇「おこんじょうるり」のリハーサルに連日取り組む中、東北関東大震災被災地にボランテイアを派遣しているレスキューストックヤードの呼びかけに胡弓で参加しました。募金にご協力いただいた皆様に心よりお礼申し上げます。




  • 3月13日、14日「福島原発の放射能から人々が守られるように」というギター・民族楽器奏者丸山祐一郎の呼びかけに応えて、祈りの演奏を捧げささげました。

0.jpg丸山祐一郎さんとこやまはるこさん

2011.3.14PM8:00、先日の長野震源地に住んでおられる知人の音楽家丸山祐一郎氏から、緊急の呼びかけが電話で届きました。
 現在、福島原発が必死で、持ちこたええいる原子炉。多くの人々の、更なる悲劇を絶対に起こさないために、原子炉の守るために祈りを演奏を!
 届いた、メセージに、昨晩応えようと、胡弓教室終了後、すぐPM8時20分頃まで、「祈り」の演奏を行い、福島原発の原子炉の火が沈静し、原子炉が守られるように、人々が守られるように、と祈りの演奏を続けました。
 本日も、ぜひ、皆様のご協力をお願いいたします。

2011.3.15.東海豪雨被災地から、支援の集い・演奏を

3.12東海豪雨写真展示.jpg東海豪雨の写真パネルを見る参加し阿3.12胡弓演奏.jpg東海豪雨被災地を励ました水仙・・・・風に光る花」を参加者と合唱・2011.3.13東海豪雨を胡弓で語り継ぐ会が名古屋市西区生涯学習センターで開催、東海豪雨の様子や災害被災時の教訓、今回の東日本大震災へのお見舞いと支援の呼びかけをしました。3.12スライド説明.jpgスライドで、当時の様子を伝えました。3.12胡弓演奏2.jpg今回の東日本大震災への追悼・支援の胡弓演奏

2011.3.27日新川坂巻公民館で、東北太平洋沖大震災支援の集い・胡弓演奏開催検討・・・東海豪雨被災地清須市新川町在住の藤掛さまが呼びかけ、企画を進めています。